机上の空論と手記

都会で生きたい

お悔やみなんて申し上げられない

ロックスターがいなくなった。

思っていたよりずっと私の一部になっていた彼は

この一週間、私がその声に酔っている時にはもういなかった。

それなのにこの町は何も変わらなかった。

平日の昼間の電車はガラガラだし、一人泣いている私は誰の目にもうつらない。

ヘッドホンをつければいつも通り彼の声が爆音で聴こえる。

 

世界の終わりはそこで待ってると

 

いつもは聴き取りにくい歌詞が嫌にはっきり耳に入ってきて、思わずスキップボタンをタップする。次の曲のイントロが流れても、彼の声は頭にこびりついて離れない。

 

思い出したように君は笑い出す

 

誰にも見られたくないと下を向いたはずなのに、それまで見えなかった涙が落ちるのをはっきりと視界にとらえてしまった。

 

赤みのかかった月が昇るとき

 

本当に大好きだったのだ。

彼にロックンロールを教わったのだ。

 

それで最後だと僕は聞かされる

 

SNSではこんなにもたくさんの人が悲しみと悔しさと虚しさを投げ合っているのに、

周りには悲しむどころか彼の存在を知る人すらいない。

一人で抱えるには重すぎる。

どれだけ泣いても、どれだけ走っても、どれだけ叫んでも、どれだけ歌っても

どれだけ追いかけたって、そのステージを目指したって

いつか追いついたとしても

彼はもういない。

白くなりきれない灰色の季節

冬が近づいている。空も街も空気も白く染まる季節。

息は白く曇ってゆっくりと消えていく。

声が、言葉が目に見える季節だ。

 

初雪を一緒に見たい人がいる。なんて幸せなことだろうと思う。

それが叶えばもっと幸せだとも思う。

白く染まった街は曇っていても明るくて、

空気は冷たく透き通っている。

そんな中を歩くのは、手が悴んでしまうから

人肌恋しくなってしまうから

隣にあなたがいてほしい。

恋しいのは人肌じゃなくてあなただ。

三分散文

依存しているのはスマホじゃなくて、画面と文字越しのあなただ。

 

顔も名前もわからない、存在すら怪しい誰かを探して

眠れない夜を過ごした。

万が一の奇跡でその“誰か”があなたなら

もう迷わなくていい。

これまでの全てとこれからの願いに理由をつけられる。

 

ずっと誰かを探していた気がする。

ずっと何かを愛していた気がする。

ずっと何かに守られていた気がする。

ずっと誰かを求めていた。

その全てがあなたなら、なんて

我儘にすら成れない願いを笑ってくれ。

創作、散文。

名前をつけてはいけない感情がある。

目にしてはいけない異物がある。

気づいてはいけない事実がある。

目覚めてはいけない夢がある。

その答えに辿り着いてしまった時、きっと全てが終わってしまう。

 

この程度で傷付いているようでは生きていけないほど些細な悪意なんて

道を歩けばいくらでも落ちている。

この程度で喜んでいては笑われてしまうほど小さな幸せだって

探さなくても転がっているはずだ。

 

極めて簡単な話だった。

私はここにはいない。ここに存在してはいけない。

いっそ気付かない方が良かったのかもしれない。

私はどこに在ればいいのだろう。

君のいない世界で生きられるだろうか。

君に出会わないままで死ねるだろうか。

向かない嗜好

日々、色々なものをかいている。

曲を書いて、小説や脚本を書いて、絵を描く。

そうして私の時間は消費されていく。

 

曲を書き始めたのは三年前、中学二年生のとき。

最初は男性が歌う前提の曲しか書いていなかった。

それしか書けなかったのだ。憧れたロックスターは男性が多いから。

椎名林檎アヴリル・ラヴィーンも当時から大好きだったはずなのに、なぜか男性の声で再生していた。

男性ボーカルのバンドを作ろうと決めて、それを当たり前だと思っていた。

 

そんな私が女性ボーカル、自分で歌うための曲を書き始めたのは去年から。

バンドで出演したライブハウスのイベントで時間が余って、ボーカルの悪ノリでスピッツの弾き語りをさせられた。

メンバーと共に楽屋に戻ると、例のNANAかよ先輩に「自分の曲歌えばいいのに」と言われた。

彼は何も考えていなかっただろうけれど、私の中で何かがストンと落ちた。

ああ、自分で歌ってもいいのか…

もちろん作曲時やボーカルにデモを送る時には自分で歌っていたけれど、それを作業以外で行うことは考えもしなかった。

その夜から私は“自分の曲“を書き始める。

 

脚本を書き始めたのは今年度から。1人用と2人用のコント風短編劇を書いている。

登場人物は全員男性だ。なぜかそれしか書けない。

大学に入ったら演劇サークルか何かで同世代の男性2人を口説いて、実際に演じてもらおうと思っている。

私は台本を書いて演出をして、時々レアキャラみたいな感じで出られればいい。

 

だけど私はステージが好きだ。

スポットライトに、マイクに、客席に、喝采に、どうしようもないほど魅せられている。

いつか我慢できなくなって、自分が主人公を演じる脚本を書くのだろうか。

音楽を作るときと同じように。

その時をひっそりと楽しみにしている。

 

いっそ、男の人になりたいと思う。

私がやりたいことは、表現したいことは、そのイメージは、私の中でほとんど男性の姿で描かれている。

自分には、この趣味嗜好は向かないらしい。

 

好きなものは猫と自分

猫が好き。圧倒的に猫派。

飼っているのは犬だし、犬も可愛いと思う。

だけど猫には勝てない。

 

最寄駅に向かう細い路地に、野良猫が4匹住んでいる。

喧嘩しているところは見たことがないけれど、一緒に遊んでいるところも見たことはない。

ただ、そこに4匹の猫が存在している。それだけ。

良いな、と思う。

互いに干渉しない、冷たささえ感じられる距離感。

その中には、少なくとも「存在」を容認する優しさがある。

「ここにいてもいい」という安心感がある。

 

彼らは余所者の私がそこに踏み入ることを許してくれる。

一度だけ思い切り引っ掻かれたことがあるけれど、今は頭を撫でても、寝転んでいるところに顎の下や腹を触りに行ってもびくともしない。それもどうかと思うけど。

あまりの反応の少なさに、私は存在していないんじゃないかと焦り始める。

そんな時は駅に隣接するスーパーに行ってオロナミンCを買う。

レジで店員さんに声をかけられて安心する。

 

猫が好きだ。

猫といる自分が好きだ。

自分と居てくれる猫が好きだ。

画面の中のヒーローに会いに行く

昨日は私の誕生日&小林賢太郎監督の「回廊とデコイ」舞台挨拶の当落発表でした。

どっちのフラグかと思ってましたが見事大阪を勝ち取りました。ありがとう神様。

ずっと泣いてました。

 

私がラーメンズ小林賢太郎に沼ったのは三、四年前なので、仁さんはともかく賢太郎さんは文字通り「画面の中の人」です。

実在しないと言われても「やっぱりな」と思ってしまうほど、遠い存在。

そんな彼に会えるとは。

まずは「小林賢太郎は実在するのか」を確かめなければなりません。

すでに緊張しています。